幅広い分野で
高度な診療と研究に挑む
現在、脳神経外科の教室は日本全国の医学部にありますが、当教室の最大の特色は国立組織である「脳研究所」に所属していることです。この「脳研究所」こそ、日本で「脳神経外科」という分野を開拓された中田瑞穂先生の志が結実した組織となります。中田先生は大正から昭和にかけて、外科学分野ではまだ未開であった脳神経領域に挑まれ、1953年(昭和28年)に脳神経外科を専門とする「第2外科学教室」を新潟大学医学部に開講、初代教授に就任されました。教室は、植木幸明第2代教授の下で1962年(昭和37年)に「脳神経外科学教室」と改称、田中隆一第3代教授、藤井幸彦第4代教授へと引き継がれながら、多くの教室同門員の努力とともに成熟し、2023年現在で開講から70年を迎えております。
新潟県は、面積が日本で5番目、人口も15番目となりますが、それに加えて私たちは東北地方、北信越地方の一部でも診療を担って参りました。一つの大学教室にとっては責任の重いところがありますが、確実にやり甲斐のある仕事となります。その中で、悪性脳腫瘍に対する集学的治療、高難度の頭蓋底腫瘍の手術、小児科と連携した小児脳腫瘍治療、技術進歩の著しい血管内治療、内視鏡での経鼻下垂体手術、西新潟中央病院てんかんセンターとの機能外科治療など、私たちが得意とする分野は多岐にわたります。脳の病気を研究し、患者さんへ高度な治療を届けようとされた先人たちに恥じぬよう、日々、高い自律心を持った妥協のない診療スタイルを大切にしています。
私たちの所属する「脳研究所」は1967年(昭和42年)に開設され、半世紀以上かけて脳神経に関わる全方位の研究施設に成長しました。私たちはその中で唯一、患者さんの生きた「脳」と直接対峙する立場であり、いまだ治療が難しい悪性脳腫瘍の研究、てんかんの病態に迫る生理学的研究、傷んだ神経の再生を目指した研究などに取り組んでいます。研究所内の優秀な研究者から高度な技術を学びながら臨床に即した研究ができる稀有な環境は、国内にも類を見ない豊かなものです。私たちは診療だけでなく、「脳研究所」で未来への夢のある研究にも取り組んでおります。
私たちは,各自のステップアップと後輩達への教育は常に同時進行でなくてはならないと考えております。先輩・後輩関係なく共に学び共に育つ環境なくして、教室の成長はありません。さらには、将来の担い手である医学生達にも、教育を通して医師としての責任を伝えてゆくことが大学の使命の一つです。次世代の育成こそが教室の、ついては新潟県の医療レベルの向上につながってゆくものと、情熱をもって若手教育に取り組んでおります。 先にご紹介した中田瑞穂先生は俳人でもあり、詠まれた句の一つに「学問の 静かに雪の 降るは好き」というものがあります。新潟の静かに雪降る地で、脳疾患の患者さんへの貢献を願い、中田先生を中心に教室員みんなでただ無心に学問に取り組まれていた景色が脳裏に浮かぶ良句であり、脳研究所の玄関前の石碑にはこの句が刻まれております。そしてそのスピリットは脈々と継承されており、これからも教室員一同力を合わせて患者さんの治療のため、神経研究進歩のため、そして次世代育成のために邁進してまいります。